病気が再び・・・・

中学生の頃から夢中になっていたUCやRCは仕事などが忙しくなったり、更には色々な軋轢等があって「も〜やめた〜」と言うときが今まであったけど山登りと一緒でどうしてもやめられない病気となってしまったようで最近、再びヒコーキ(このサイトでは"機体"とか言わずあえてこう呼び方をします)が頭から離れず、あまり思いつめると体に悪いからとまたまた復活しちゃっおかな〜と考えていた。
そんな折、RCカー仲間のNが知り合いから10クラスのEZ製のモーターグライダーをもらったから飛ばしてみてくれと言われ、お盆に日本一山の中にあると言われるRC飛行場へとまるもつれて行く事となった。せっかく行くのだから何かヒコーキを持って行こうと思ったけど手元に残っているヒコーキでまともに飛ぶと思われるのはサイレントと無線機のテストや田んぼで飛ばしたりしていたOKのQB20H位しかなく、サイレントは5〜6年もRCから離れていたし、山の中だからちょっと無理だろうと思いQB20Hを持って行くこととした。
さて初めて行ったその飛行場は確かに山の中で自分の立っている位置から山肌まで200〜300mほどしかなく左手には後ろにある山の尾根が張出していて120のヒコーキでは(おっと、今は140ですか・・・・)着陸でまっすぐに進入して来られないという困った地形になっていた。整地はしっかりされていて滑走路も70m〜80m位あり充分な広さだが基本的にはここでスタントを再開するのは無理だと悟ったのであった。
とりあえずと持っていたQB20Hを飛ばして見て気流をみようと思ったけど当日は風は無風状態。気流は全く判らずじまいだったけど、小型機を飛ばすには良いコンディションでNも初めてヒコーキの送信機を持ち満足な様子だった。
数日後、勢いでラジコン技術を買ってみた。自然と目が行くのはF3A関係、今月号にはJRAのランキングには同じ長野県人の西沢氏や一緒によく競技会に行っていたAH氏の名前があり、ああ、皆ずっと頑張っているんだと思った。更に目を通すと何と学生時代同じ下宿で妙にウマが合っていたSYもランキングに載っている。SYはUCの世界でも学生時代日本選手に出場経験がありなかなか器用な奴だったが、学生時代も後半になるとバイクに熱中したりしてヒコーキからは離れていってしまった。それからはもう雑誌から名前を見ることはなかったのですっかり止めてしまっていたのかと思っていたのにこれは意外だった。こんな事もあり最近、すっかりヒコーキ突入モードに入りつつある・・・・

(2002/09/22 記)

※地味にやろうと思いますので素性の判ってしまうAH氏、SYのお名前は失礼とは思いますがあえてイニシャルをつかわさせてもらいました。ごめんなさい>両氏