ウケねらい?! BRONCO

FOCUSを作る前はというと大阪にいた時に作った45クラスのインチキな自作のヒコーキをずっと飛ばしていた。このヒコーキはキュラーレ45をMKのスカイマスター風にキャノピーと翼端部分の形を変えただけだったがイメージはがらっと変った。検定会に持っていけば写真がのるかなと期待していたがほとんど誰の目にも止まらなかった・・・・そこでそれならもっと目立つスタント機をと設計したのが"BRONCO"だ。

ラジコン技術誌の1988年7月号にハヤブサフライングクラブで行われた検定会のレポートでしっかり取材してもらっちゃった。ヽ(^Д^)ノ
が、当日は後半はかなりの雨になってしまい、ちょうど演技の途中から雨足が強くなりメガネに水滴がついてヒコーキが見えない状態、助手のA木さんに姿勢を聞いて途中で着陸させたがJRAのはからいでアドバンズドだったと思ったけど合格となりました。でも合格者の顔写真、ずぶ濡れでかなりカッコ悪かったっす・・・・(ノД`)ノ ビェーン、ビェーン

このBRONCOを設計しだした頃はターンアラウンドのパターンにもなり、ヨシオカモデルファクトリーからFLASH(40クラス)が発売になった頃でスタント機も軽量化への模索が始まりだした頃だ。ただ、スタント機の場合はあまり軽量化すると翼のスワリが悪くなったり、軽量化の為に胴体が華奢になってフローティングマウントがまだ一般的ではなかったのでエンジンが共振してしまい本来のパワーを出せなくなってしまうといったデメリットが目立ってしまった。
そこで"BRONCO"は軽量化の方策として胴体を思いっきり細くしてみた。使うバルサが少なくなるから軽くなるだろうという単純な発想だ。デメリットとして細くすると側面積が少なくなりナイフエッジの浮きが悪くなるのでサメのヒレ状の約1duのフィンを重心位置に付けてみた。さらに軽量化のため引込脚は廃止、代わりに固定式の1輪車を付けた。1輪車だと翼端をすってしまうのでやはり1du位の面積の翼端フィンを翼から下方に取付けて1.2mmのピアノ線でソリも付けた。この翼端フィンと胴体のフィンで側面積はバッチリ、ナイフエッジループも夢じゃないなと1人ほくそえんだ。
主翼の平面形は後縁フラットではなく今回は5cm位前進させてみたが作るのが面倒になるだけで特にメリットもないので次の"FOCUS"からはふたたび後縁フラットの平面形にした。フィニッシュは名前は忘れてしまったが、色が塗れると言うことで京商から発売されていた絹のようなフィルムを張り、タミヤのプラカラースプレーで迷彩色に塗った。裏は実機のようにライトブルーに塗り最終フィニッシュでタルクを混ぜたクリヤウレタンを塗ったが、タルクを混ぜてもそれほどツヤ消しにはならなかった。完成重量は2.5kgと色々やった割には普通のヒコーキと変らないくらいの重量になってしました。

初フライトは仲間の見守る中、新品のエンジンも調子よく離陸したが、明らかに挙動がおかしい・・・・ロール方向にニュートラルが無く常にどちらかに傾こうとする。すぐに着陸してエルロンの具合を見てみるが特に異常はない。変だな〜、と頭をかかえていると仲間が集まってきて喧々囂々・・・・どうやら翼端に付けているフィンが原因ということになった。その日は飛行を中止して、帰ってからフィンはボルトオンだから簡単に外すことはできる。あとは離着陸でバランスを取れるように長いソリを1.2mmのピアノ線で作りなおした。脚も最初は側面積を少しでも稼ぐようにとジュラ脚を半分に切って直角に曲げて使っていたが、もろに衝撃が胴体にかかるので4mmのピアノ線で作り直した。
次の週に気を取りなおして飛ばしてみるとウソのように快調に飛ぶ。やはり翼端に付けたフィンがいけなかったようだ。色々考えてみると、実機ではフィン(ウイングレットとも言う)は必ず翼端よりも上か、上下同じ面積だ。下にあると下反角効果でロール方向が負の安定性になっていたようだ。う〜ん随分勉強になった。
重量はそんなに軽くもなくスタント機としては平凡な性能でだったが、胴体のフィンのおかげかナイフエッジはなかなか良く、そのままループにもっていけたが、やはり面積不足で下を向いた状態から引起しができなかった。エンジンもちょっと能力不足の感があるポンプなしのENYA45Xだったので半年ほど飛ばした所で60クラスへと移行してしまった。友人のA木さんが1機しかないヒコーキを検定会で電波障害でこわしてしまったので譲ってしまった。そのA木さんはグライダーのランチャーとして改造して何回か飛ばしたようだけどグライダーが離脱しきれず、バランスを失ってそのままグライダーもろともコントロール不能となり墜落してしまった。
ウケをねらって作ったヒコーキではないが随分と反響や雑誌にも載ったので、60クラスも設計して胴枠まで切出したがそれから先には進まなかった。まずはもっと腕を磨いてからと思ったのだが、腕は結局以後上がる事はなかった・・・・