治工具の方が時間がかかった。 FOCUS

以前から自作のスタント機は何機か飛ばしていたけど、実家にIターンしてからは以前のように日本選手権を目指してキンキンに飛ばすわけでもなく検定会で1クラスづつステップアップしていければ良いや程度になってきたのでお手軽に何か作ろうと考えていた。そこにヨシオカモデルファクトリーから「フラッシュRS」が発売になった。このヒコーキのベースはもちろんフラッシュで、プレトナ氏のカリプソやスープラフライの影響を受けチェンバーは外装むき出しで純スタント機というよりもスポーツ機的な性格の強いヒコーキだった。
当時徐々にスタント機にも使われだした4サイクルのエンジンを積む事として、値段も手ごろだったので同時にOSのリヤカムのFS-90も購入した。構造は当時60クラスというと胴体側板は5mm厚位のバルサが使われていたがこのヒコーキは軽量化のため2mmで主翼のプランク材と同じ厚さでビックリした。水平、垂直尾翼などもプランクなしのトラスで今のアクロ機のような構造で40クラスがそのまま大きくなったとい感じだった。FS-90は当時のばろの群長には使いきれず、地上では問題ないのに上空ではスローでエンストしてしまいスタントにならず。こりゃ倒立だから具合が悪いのかと思いサイドマウントで同じようなディメンジョンのヒコーキを自作することにした。

FOCUS1号機、紙張後ラッカースプレーで色を塗りウレタンクリアで仕上げた。パイロットは「キョンシー」君だ。
エレベーター連動のフラップを付けてみたが軽いヒコーキにはあまり役には立たない、後にコンピュータプロポでエルロンでエアーブレーキができるようになったので2号機からは廃止となった。

ベースはフラッシュだが設計からすべて1からやり直したのでフルスクラッチとなりカウリングやキャノピーまで自作したのでずいぶんと完成までに時間がかかってしましった。("Manufacturing"にその時作った治具を紹介していきます)またどうせ作るならと3機同時に作り出し、1号機は4サイクル90用、2,3号機は2サイクル60用として倒立とした。設計でまず手を付けたのが胴体、全長を100mmほど長してスピンナーをのぞく全長が1550mmでピッチ方向の安定性を高め、側面積も少し物足りなかったので高さも20mmほど高くした。構造はフラッシュは2mmバルサがメインでダイカットされた胴枠たくさん入るようになっていて、しかもサンディングも大変だったので上部のアールが付いている部分はスチロールコアに2mmのバルサプランクとした。おかげで3本ある胴体はあっという間に生地まで出来てしまった。(^^)v
フラッシュは4サイクル90ではアンダーパワーだったので主翼は機速を上げるためにサイドマウントの1号機は2サイクル60の2号機より幅を100mm短くして前幅1650mm、主翼面積が49duとなった。ちなみに2,3号機は幅が1750mmで52duとした。もちろんスチロールコアにバルサプランの構造でフラッシュは固定脚にしていたがこちらはスタント性能を上げるために2輪式の引込脚にした。よく発泡スチロール翼は重いと言われるが接着剤うまく使いサンディングをしっかり行うとけっこう軽く上がる。今回はあまり主翼が軽くなるとロール軸の座りが悪くなるのでわざわざ重めの前縁部が板目、後半部を正目の2mmバルサを使ってプランクした。重めの2mmバルサで正目のものは普通はプランク材として嫌われているので模型屋さんを回るとよく売れ残っている。(^^♪
尾翼は垂直も水平もスチロールにバルサプランク、さらにこのヒコーキではラダーとエレベーターもスチロールにバルサプランクでホーンの付く所だけ3mmベニアをエポキシで接着したのでほとんどバルサといえば2mm厚で作ってしまった。ところが肝心のFS-90は仲間に拝みたおされて安く持っていかれてしまい、結局ENYA製で発売になったばかりでギヤーポンプ付のサイド排気の60Xを買うことになったが、普通2サイクルといえばほとんどが後方排気なのでサイド排気のエンジンは手元に来るまでずいぶん時間がかかった。(ーー;)
1号機は紙張、ラッカーとウレタンによる塗りだったけど重量は3.2kgと主翼に重たいバルサを張ってある割には軽めになった。半年ほど飛ばしたていたが仲間が空いている4サイクル90のエンジンが空いているのでヒコーキだけどうしても譲ってくれという話がでて最初は断わっていたが2号機が続いて完成したので譲る事にした。(;_;)/~~~