スカイカンガルーは不滅

今回はRCを始めた頃のお話をしたいと思います。その昔、高校の入試にも合格すると1ヶ月間は今までにない長期の休みとなり、受験勉強から開放された事もあり念願のプロポを買うためにひたすらバイトをやっていた。最初はフタバの歴史的な8角形の送信機のものを買おうとしたが、松本市にある頑固親父で知られる増金屋模型店の勧めで現KOPropo、当時近藤科学のデジエースと言うあまりメジャーではないプロポを購入した。ニッカド仕様は高くてとても買えず、乾電池仕様としたが親父の言うには電池の持ちが良いという事でだまされたような気持ちだったが、実際当時はマンガン電池しかなく今の物よりも容量はなかったような気がするが、20回は飛ばす事ができ、今考えると驚くほど省エネだ。
ヒコーキは高校に入るとRCをやっている先輩からスカイカンガルーが良いと言われプロポと一緒に買ってきた。ところがUCのつもりでベタベタと色を塗ったしていたら重量が1300gにもなってしまい、エンジンはUCをやっていた頃のENYAの09があったのでそれを載せようとしたが、模型屋の親父さんよりダメだしが出て新たにENYAの15を買ってそれを積むこととした。このエンジンは何機もヒコーキを渡歩き今でもQB20Hに載っていつでも飛行が可能、恐るべき耐久性だ。

高校生時代、9月に近くのはげ山の山頂(ちなみに標高は1150mある)に仲間とスカイカンガルーを運び上げ飛ばす事となった。
まずは手投げでスタートだ。ちなみに当時、カメラも熱心にいじっていたので自分で現像ができるモノクロフィルムばかりで写していた。

高校の仲間とは日曜日ともなると良く飛ばしに行っていた。なんせ家は田舎で中央アルプスの麓でこの手に飛行機の飛ばす場所には全く困らない、農閑期には田んぼでもOKという具合だ。学校の体育際には仲間とこっそり抜け出して必ず飛ばしに行っていた。また、夏休みにはテントを持ってスキー場のゲレンデで合宿した事もある。
基本的にはモーターグライダーなのだがラダーがよく効き練習機としても最適でお世話になった人も多いと思う。グライダーとしてもスキー場で飛ばしていると風の向きで上昇気流が発生する時がありエンスト後も2時間位仲間と交代で飛ばした事もあった。首が疲れるので一人では20分位が限界だった。

山頂では自分よりもかなり低いところを飛ばすことも可能。
しかし、中央アルプスの山肌がせまってきていますね。

このヒコーキの1枚目の主翼は20回目くらいの時に立ち木に突っ込んで粉々になってしまい、フィルム張りで作り直した2枚目でずっと飛ばしていた。ある日、高校の後輩と田んぼで飛ばそうとしていると近くの営林署の中庭で記念式典をやっているらしくにぎやかだったが、急に所長の演説になり静かになったので「じゃあ」と言う事でさっそく発進。挨拶回りとばかりに式典の上空を飛ばして更には宙返り、静かな会場から「おおっー」と言う声が聞こえてきた。まだRC飛行機は普通の人はあまり見た事もない時代だったので今なら大目玉を喰らう事になるけど、余興の1つと化してしまうようなのどかな時代でもあった。

山頂にはNHKのサテライト局があったりしますが・・・・
もう、時効がとっくに過ぎているのでUPしました。

高校時代は他にもヒコーキは何機か作ったが、スカイカンガルーだけは大破にいたらず、進学してスタントをやりだして、就職して競技会に出るようになってからは見向きもしなかったけど、Uターンで家に戻るとまた受信機とサーボを積んでちょっとした空き時間に近くの田んぼや空き地で飛ばしていた。足掛け20年飛ばした事になるけどオイルのシミ込みがひどくなりあまり飛ばさないのでカビも生えてきてしまったので数年前に火葬したけど、メラメラ燃えつきていく時にはちょっと目頭が熱くなってまった。