みにくいアヒルの子?

RCをやっている人間はよく言えば「こだわり」をもった人間が多い。まあ、こだわりというと聞こえは良いが普通に言えば「ガンコ」、「イコジ」といった所で、「聞く耳を持たない」とお互いに陰口を言合っているという滑稽な(愛すべき)人種である。
当然、ばろの群長もご多分に漏れず妙なとこにこだわりがあり、つまらない失敗をしたり余分なお金を使ったりしてしまっている。でも趣味の世界だからそれは仕方ないかとだとは思うのだが・・・・でもやはり物事には「ほど」というものがあります。
ばろの群長のこだわりの1つはENYAのエンジンでひたすら使い続けた。特にスピードスタントの時代はENYA一色で学生時代はYSのお膝元でもあるにもかかわらず使い、大阪に就職したときも周囲はOSかYSのなかでただ一人ENYAを使っていた。日本選手権の大阪予選に当時最新のARROWを持っていった時は胴体に「ENYA」と書いてあるにもかかわらずどこのエンジンですかとよく聞かれた物でした。
話は変わってどうもヨーロッパ系のヒコーキは当時好きにはなれなかったけどパイプが胴体内に入っているということで目新しかったのですぐにARROWに飛びついた。箱を開けて図面を見てみるとビックリ。いかにも鈍重そうなスタイルとはうって変わって翼型は層流翼、また翼端に行くほど薄翼になるという当時としては斬新な設計で目を見張ったものでした。

今見ると実にシンプルな配色。実際視認性は非常に良く曇天時でも問題はなかった。
このヒコーキは重量が約4.1kg、主翼面積が45dmだから翼面加重は今とは比べようもない位高かった。

当時はスピードスタントの時代、今のように騒音なんてあまり話題にものぼらなかった。60のエンジンに11インチのプロペラで回していたからそれはすざましいものがあった。ちなみにばろの群長のアローはMKの11×3/4というプロペラで地上では15000rpm回り、宙返りの突込みではおそらく17000rpmオーバーだったものと思われるから今では考えられない話だ。当然それだけ回せば音もかん高い「ファーン」という音で俗に「サイレン」と言っていた。が、耐久性が自慢のアルクロといえど50回ほど飛ばすともうライナー&ピストンが寿命となり2個のエンジンを交互に使い片方は修理にいつも出ていた・・・・
ARROWに積んでいたのはENYAの野心作でペリーポンプが付いていてYSとも充分向こうをはれる仕様だったけど、東京方面ではトラブルが多発して使い物にならないと風の便りで聞こえてきたが、ばろの群長はバックアップ用を含め2個買ったがどちらも絶好調で新しい翼型とマッチして機速にのり実に良く飛んだ。実際は腕が無いのにヒコーキがしっかりカバーしてくれ予選会や競技会ではそこそこの結果がでた。でも予選は通らなかったけど・・・・

記念すべき第一回の三和杯にて。ヘリの部とF3Aの2部構成でした。(京滋フライングクラブの飛行場にて)
この競技会で初めてヘリの上空飛行を見ました。

スタイル的にARROWは時代にまるで逆らうような正立のエンジン、パイプを内蔵したといってもセムシ男みたいに背中に背負っているという感じでデザイン的なセンスのかけらもない胴体(ちょっと言いすぎですか)。ヨーロッパでは主流だったかもしれないけど主翼は前縁の後退角と後縁の前進角が同じという何とも芸の無い設計・・・・
でもこのヒコーキはエンジンさえ回ればどのヒコーキよりも良く飛んだ。特にフォーポイントやスローロールなどはスピードにのっている分、実に良くきまり、お腹をこっちに向けている時のナイフエッジはどのヒコーキよりも「ゴー」という音が良く聞こえてきた。マット氏というとARROWの前はアトラス、次はジョーカーと大柄で「どっこいしょ」という感じのヒコーキばかりだったのにARROWだけは特別である。点を稼ぐにはこじんまりとした演技の方がアラが目立たないが、スピードのあるヒコーキは演技が大きくなるので確かに不利だけど、マット氏が世界選に勝ったのはプレトナ氏にアクシデントがあったといえこのARROWを持って行った時だけである。でもやはり性に合わなかったらしくジョーカーは「どっこいしょ」的なヒコーキとなった。
スピードスタントの時代で名機を1機選べといえばこのARROWの他には考えられない。けどスタイルだけはどうしてもいただけない・・・・