いつかはBlueAngel・・・・

RCを始めたばかりのころ吉岡氏が世界選手権でいきなりの優勝。当時はまだ日本のRC界は欧米からは一歩も二歩も遅れていると考えられていたので意外だった。今でこそ無線機はFUTABAかJR、エンジンはYSかOSと相場は決まっているけど、当時F3Aでは無線機はシンプロップ、クラフト、グラウプナ、エンジンは圧倒的にスーパータイガーのABCエンジン。新興勢力でウエブラ、OPSなどのエンジンを使っている人もいた。その中で唯一日本製のが顔を出していたのはENYAでしょうか。ちなみにウエブラも駆出しのころはENYAのエンジンをコピーしていた時代もあった。
そんなころのスタント機はヨーロッパタイプの側面積の広いあまりカッコの良くないヒコーキが主流だった。たとえばプレトナのスーパーシクロリーなどはお世辞にもカッコ良いとはいい難いスタイルをしていた。それに比べ「ブルエン」(みんなこう読んでいた)は胴体が細く、特徴的な後退翼で明らかにヨーロッパのヒコーキとは異なる輝きがあり、まだ練習機で一人でやっと飛ばせる状態だったのにもかかわらず心の中は「ブルエン」しかなかった・・・・

ブルーエンジェルは20、40、40SR、60とみんな買った。特に60は3機買ったかな・・・・
まだ学生時代(汗)、40SRと60を近くにあるグランドで飛ばした。今は回りの木が大きくなってRCはできなきなってしまった。

ブルーエンジェルの60は疑問点があった。重心位置が算出した論理的な位置よりも5cmほど前が図面では指定されているのだ。普通にメカ積みをすると図面通りの位置にくるので気にもしていなかったが、学生時代はろくに勉強もせず尾翼容積とかモーメントなんかを有名どころのヒコーキは計算して割出しノートに付けていた。そんなことでたまたま発見したのだけど、後にMKの設計をやっている人に聞いたら「確かに君の言う通りだね」と言われてしまった。加藤氏が実際の経験から飛ばし易い位置が図面の位置になったようだ(推測)。事実このヒコーキは着陸時エンジンスローでの進入時には頭上げの傾向を示し機速が殺し易く、典型的な前重心の特性を示した。普通に飛んでいるときには前重心の傾向はなかったのは単に後退角の付いた主翼のせいなのだろうか・・・・

競技会に出るようになってもやっぱり「ブルエン」。だけどこのころはスピードスタントの時代、すでに過去のヒコーキとなりつつあった。
中部模型飛行機競技会にて、結果は・・・・(汗)
学生時代に大変お世話になった名城模型の渡辺さん(右)とRC仲間のK(中央)

ブルーエンジェルはMKから発売当初はテールコーンが付いていた。つまり噴射口のダミーである。これは加藤順平氏が渡米したときに海軍のブルーエンジェルのアクロバットに感激しジェットタイプの60クラスのヒコーキを製作。それをスタント機にアレンジしたのが初代ブルーエンジェルであった。(推測です)さらに時代は下り吉岡氏はテールコーンが付いているとラダーが機軸に対して上半分しかないので、ナイフエッジ時にラダーをあてるとロール癖がでて具合が悪いのでテールコーンをばっさり切落としてラダーを胴体下部まで延長し、「ブルーエンジェル改」として世界戦に出場したのであった。
さて、ブルーエンジェルをはじめて飛ばすと普通の人はちょっととまっどってしまうはず。主翼の後縁にも後退角が付いているので引起しで姿勢が傾いていると錯覚してしまい打たなくてもよい舵をあててしまい、最初は縦物がうまく決まらない(なれれば良いんだけどね・・・・)。また翼型がNACA系なので突込ましてもスピードにのってこずスピードスタントの時代にはもう性能的につらいものがあった。ところがスピードスタント全盛時の競技会でもうなりをあげて飛行する最新鋭のスタント機の中で必ずブルーエンジェルは1機か2機は出場していた。ばろの群長もその1人だったけど、やはり日本人がはじめて世界戦を制覇した時のヒコーキだし、忘れられないスタイルをしていた。日本で生まれた名機としてスタント屋の心にいつまでも残っていく事でしょう。